胡国人 安如宝
『唐招提寺スペシャル』 CATVヒストリーチャンネル
唐招提寺の金堂はいつ誰が建てたか。
唐招提寺の金堂の地垂木を年輪年代測定法で調べると781年に伐採された木であることがわかった。その年、鑑真はすでに亡くなっている。
『唐招提寺建立縁起』には、金堂を建てたのは如宝であると記録がある。また、『唐大和上東征伝』は『東征伝絵巻』の元になったもので、鑑真が日本に渡ってきた記録。鑑真は24人の人と一緒に日本に来た。僧12人、尼僧3人の他に修行中のまだ僧になっていない若者もいた。その一人が、胡国人安如宝と記されている。安という姓はソグド人が名乗る姓で、(現ウズベキスタンの)ブハラ出身のソグド人であると推定される。
鑑真は聖武天皇に招かれ、戒律を日本に根付かせるために日本に来て、東大寺に入った。そして、東大寺に戒壇院を作って戒を授けた。聖武天皇や孝明皇太后もここで戒を授かった。一緒に来た如宝もここで僧になったのではないかと推測される。聖武天皇の死後、鑑真は政治的に失脚し西の京に移って現在の唐招提寺の場所に学問所を開く。如宝は出世し、778年戒和上、797年律師、???年小僧都になった。
鑑真が唐から持ってきた「白瑠璃舎利壺」(唐招提寺に現存)のガラス成分を分析した結果からは、8世紀頃西方イスラム世界で作られたものであることがわかった。
#ていうかそんな壺にお釈迦様のお骨を入れていいのか!?